「妨げるものはもうない」  05.10.16
                   使徒言行録8:26〜40

 主なる神さまは、ある特定の人たちだけを救おうとされるのでは
ありません。どんな人をも救おうとされます。どんな人も、ご自身で
創った、尊い存在であるからです。福音は予想していなかった人たちに
広がっていきます。
 8章の前半で福音を信じて救われたサマリヤの人たちや魔術師は、
いずれもユダヤの人からすれば神さまの救いからは除外されていると
思われていた人たちです。
 しかし、主の救いはその人たちを包み込んでいきます。
 そして、8章の後半では異邦人の宦官も、主の救いに包み込まれて
いくのです。
 この人は、礼拝のために、エチオピアからエルサレムまで旅をして
きたのです。しかし、彼はエルサレムの神殿の内側に入ることは
できません。ユダヤ人でない者は「異邦人の庭」と呼ばれる神殿の
外庭までしか入れないのです。越えられない壁があります。
 更に、律法に「宦官は主の会衆に加わることができない」と定め
られています。宦官は、地位と力を持ち、礼拝のために大変な距離を
旅してくるほどの熱心さも持っています。それでも、神さまに近づく
ことを妨げる壁がありました。
 エルサレムからの帰りに、宦官はイザヤ書を読んでいました。
 イザヤ書には、宦官が神さまの民とされ、迎え入れられ、救われる
との預言があります(イザヤ56:3〜8)。ですから、熱心にイザヤ書を
読んでいたに違いありません。その宦官の所にフィリポがやって
来ました。聖霊が、聖書を解き明かすためにフィリポを遣わしたのです。
 聖霊なる神さまは、ご自身が創った尊い存在であるこの宦官にも目を
注いでおられたからです。
 宦官は、イザヤ書を通して、イエスさまが乗り越えられないと思って
いたすべての壁を取り除いてくださったことを知らされます。

 いてもたってもいられなくなって、宦官は洗礼を受けました。
 イエスさまは、私たちの壁を取り除いてくださいました。
 神さまと一緒に生きていくことを妨げるものは、宦官にも私たち
にも、もうありません。